T・S 価値判断【12.3追記】
《四月は最も残酷な月、死んだ土から/ライラックを目覚めさせ、記憶と/欲望をないまぜにし、春の雨で/生気のない根をふるい立たせる。/冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を/忘却の雪で覆い、乾いた/球根で、小さな命を養ってくれた。…》
T・S エリオットの『荒地』から冒頭を引用。
この詩を知ったのは
私が大学に入学して一番最初の授業「哲学 Ⅰ」において、でした。
N先生という白髪混じりのいかにも哲学者然としたいぶし銀の男性が、その授業の担当教授をしていらっしゃいました。
この授業は
月曜1限という多くの大学生が敬遠しがちな時間枠の授業だったため、実際のところ、私自身も、途中で通うのが辛くなるものだろうかと心配していました。
しかし、いざ大学生活が始まってみると、 (以下、思い出ぽろぽろ)
私が自分の睡眠時間のためにこの授業を欠席することは一度もありませんでした。
むしろ、私の大学生活のスタートは、この人の授業に通わずして有り得ないものだった、とすら言えると思います。
なによりこの教授のお陰で、私の趣味嗜好の方向性は、より偏ったものになっていくことが出来た(ポジティブ)と言えるでしょう。
私はこの先生に対し
初めてその機知と示唆に富むお話を聞いた瞬間から、絶大なる尊敬を抱くに至っておりました。いわゆる、「傾倒する」という状態でした。先生のお話は、いかにも当時の私が求めていた興味深い類のものばかりで、小津安二郎や、パヴェーゼの存在も、このお仁から教わりました。毎回の授業に出席するのが、楽しみで仕方なく、授業の後は、先生から聞いた情報を基に、たくさんの本や映画を読んだり観たりしていました。
たしかに、自分は一人でも幸福なのだと思えた、美しい時間でした。
そんな中で
私に最も強烈な印象を残した作品の一つが、冒頭の詩「荒地」でした。その時、日焼けしたみたいに心に焼き付いた印象は、未だに、火照りがとれていないように思います。
T・S エリオット
といえば、私からすると、20代のうちには完全な理解をすることができず、おそらく30代になっても理解できていないであろう、崇高な思想をお持ちの偉人です。40代では、さすがに理解できていたいものです。
ここで注目すべき点は
当時のわたしが恥ずかしながらエリオットという名前すら知らず、知れた後もとにかく馬鹿みたいに感動をするだけしていた、という点です。芸術家というものは全人類に共通の宝・財産であると考え悦に入り、なんとかして自分もそうなれないものかと愚かにも妄想するところまで行きました。
「これが、わたしの創作の原点です。」
と言えていたなら、どれほど良かったことでしょう。
今、8月ですし・・・